むしばみ。 #早瀬ユウカ

むしばみ。 #早瀬ユウカ


※ギリギリR-18にならない程度の性的描写、蟲描写が含まれます。苦手な方は注意。












🐛 🐛 🐛 🐛 🐛 🐛 🐛 🐛


(ここは……どこ?)


 気がつくと、私は──早瀬ユウカは、知らない場所にいた。

 鼻腔をツンと突くカビの匂い、冷たい空気、足裏に感じるコンクリートの感触……屋外ではない。どこかの廃墟の中……だろうか。

 辺りは薄暗くて、だけど完全に真っ暗闇というわけでもない。ぼんやりとした月明かりがどこからか差し込んで、私の周りだけを仄かに照らし出している。


 どうして私はこんなところに? 記憶を辿ろうとする。だけど、頭の中にもやでも掛かっているみたいに思い出せなかった。

 頭が鉛みたいに重くて、気持ち悪い。

 それでも私は動かない頭を必死に回転させようとして……そういえば、と、はたと気付く。

 足裏にコンクリートの感触を直に感じるということは、今の私は裸足で、いつもの靴を履いていないということ。いや、それどころか……

 素肌へと「直に」感じる冷たい空気。

 背筋が凍る。まさかと思って、月明かりに照らされた自分の体へと視線を落とす。

 目に映ったのは……セミナーの制服はおろか、上下の下着さえも……何一つとして衣服を身に着けていない、文字通り一糸纏わぬ自分自身の裸体で。


(え……え……っ!? わ、私っ、どうして、はだか……!?)


 動揺する。

 だって、それは、混乱するわよ。

 私だって年頃の女の子よ?

 気がついたら知らない場所に素っ裸で放り出されていたら、わけがわからないわよ。怖いよ。恥ずかしいよ!

 なんで? ……え、本当になんで!? どうなってるの?

 

 困惑よりも、恥ずかしさよりも……ただ、怖かった。

 どうして自分がこんな状況に陥っているのか、全く身に覚えがなかったから。

 ああ、息が、息が苦しい。視界が暗い。意識ぼんやりとして、うまく頭が働かない。なにもかもが理解不能な状況の中で、焦りと恐怖だけがジワジワと心の中で膨れ上がっていく。


 早く──はやく、みんなのところに帰らなきゃ。


 動揺のままに、足を一歩、踏み出して。

 ぐちゅり。

 足元から変な音が響く。

 水っぽい何かが潰れるような音と、足裏に感じる"ぬるり"とした不快な感触。

 もしかして、何かヘンなものでも踏みつけてしまったんじゃないかって、おそるおそる足下を見て……

 息が止まった。


 そこに「いた」のは──




 蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲。


 足下に、無数の蟲が蠢いていた。


「──────────────ぁ」


 悲鳴を上げることさえできなかった。

 十匹や二十匹、なんて可愛いものじゃない。数千匹、数万匹……ううん、もう数を数えることさえ馬鹿馬鹿しくなるくらいの蟲々の群れが、コンクリートの床一面を埋め尽くしていた。

 芋虫が、蚯蚓が、蜈蚣が、蛭が、蛞蝓が、およそ人に生理的嫌悪感を齎すであろう思いつく限りの種類の蟲が……それも、大きいものでは人の腕ほどもあるような常軌を逸した化物みたいな虫が。うごめいて、地面を這いずって、じりじりと私の足下へとにじり寄って来る。


(ひ、っ……)


 思わず後退ろうとして……凍りつく。だって、前も後ろも右も左も、どこもかしこもおびただしい蟲に囲まれているんだから。逃げ場なんて、どこにもない。

 ずきり、と足首に鋭い痛みが走る。私の足下を這い回る虫の一匹が、その顎で私の素肌に噛み付いたのだ。

 痛い! そう思った時には、ぐらりと体が傾いでいた。バランスを崩して体が宙に浮く。藁にもすがる思いで必死に手足をばたつかせるけど、もう遅い。


「──ぁ、っ」


 その次の瞬間には──私は、地面を埋め尽くすおぞましい蟲々の海へと飲み込まれていた。


「──ぁぁぁあああああああああああああぁぁぁぁぁ!!!!!!」


 パニックを起こして手足をじたばたと動かすけれど、私に群がった蟲々の群れは一顧だにしない。

 全長数メートルはあろうかという大蚯蚓が、まるでロープのように私の手足に絡みつく。そうして四肢の自由を奪われた私の体中を、素肌を、おぞましい蟲たちが這いずり回っていく。


ひっ! やだ……やだやだ、やだやだやだやだよぉぉぉぉぉ!!!


 がさごそ、ぎちぎち、ぬるぬる、ぺたぺた。

 まるで、熟れた果実を食い荒らすように。蟲々の群れが私のカラダを貪っていく。

 首元に大蜈蚣がぐるぐると巻き付いて締め上げる。苦しい。息が詰まる。

 数えきれないほどの蛞蝓の大群が手足を、身体を、顔面を這い回り、べとべととした粘液で素肌を穢していく。

 幾重にも絡まり合った蚯蚓の塊が人の手指のように蠢いて、私の太腿を、ふくらはぎを、首筋を、二の腕を、お腹を、ありとあらゆるところを好き放題に弄り回し、撫で上げ、揉みくちゃにする。

 左右のふくらみに二匹の大蚯蚓がぐるぐると巻き付いて、その身を喰い込ませ、そのままぐにゃぐにゃと粘土のように捏ねくり回す。かと思えば、その先端に巨大な蛭がぱくりと大口を開けて食らいついて、そのままズルズルと音を立てて啜って……


あああぁぁああああぁぁぁ!!!!? やめて! やめてよやめろやめろヤメロ止めろやめ……やめて、よぉぉ……おねがい……ぁ、あ、あああぁ


 おかしくなる。

 ううん、とっくにおかしくなってた。

 理性なんてとっくにどこかへ吹き飛んで、正気なんて保ってられるはずもなくて。

 気づけば私は半狂乱で泣き喚いて、手足をばたつかせて、どうにか蟲の群れから逃げ出そうとして。それでも私の手足に絡みついた蟲たちは、私のことを決して解放してはくれない。

 まるで、誰かの欲望と悪意にでも突き動かされているみたいに。偏執的な力で私の全身を押さえつけ、そのカラダを嬲り尽くしていく。


た、すけ……げほっ!?


 助けを、救いを求めて開こうとした口に、子供の腕ほどもある大芋虫が飛び込んできた。

 大芋虫はそのまま私の口内を、舌を、喉を、ずるずると這い回り、口蓋を衝き上げるようにのたうち、暴れ回る。私の苦しみなんて一切お構いなしに。


ゔ……ぉえ゙ッ……ご、ぽっ……


 堪らずにせき込み、えずく。気づけば私の口の中は、芋虫の体から滲み出た粘液に塗れきって、穢されていた。

 口内から溢れた粘液が、僅かな呼気と共に唇の端からごぼりと零れ落ちる。

 苦い。汚い。吐き気がする。それでも口の中の異物を吐き出すことすら許してくれない。

 もう呼吸もままならない。目が霞み、意識も薄れて、それでもなお全身を這い回る不快感だけはより鮮明さを増していく。自分のカラダが、自分じゃない何かに染め上げられていく。


やだ、やだ、やだ、やだ、やだ、やだ、やだ、やだ


 侵蝕される。

 わたしが、侵されて、蝕まれていく。

 一糸纏わぬ姿で、曝け出された私の"ぜんぶ"が、どろどろとした欲望と悪意に浸されて、穢されて、塗り潰されていく。

 おぞましい。きたない。きもちわるい。こわい。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。

 これが現実だなんて思えなくて。思いたくなくて。もがいて、あがいて……踏み躙られて、踏み躙られて、踏み躙られて、踏み躙られて……何もかも無駄だって思い知らされて。

 最後にはもう、抵抗する気力さえも奪われて。あとはもう、ぐったりと、されるがままで。


 そして私を蝕む悪意はとうとう絶頂に達して。

 ふとももに巻き付いていた大蚯蚓が、万力のような力で私の両脚を締め上げ、ぎりぎりと左右に割り開いていく。

 無理やり観音開きにされた両脚の付け根──その「入口」に大蚯蚓が殺到し、強引に抉じ開けて。

 そうして露わになったまんなかへと、胎児ほどもある大芋虫がその頭部を宛てがって。

 私の「内側」へと、侵入しようとして、きて──


ぁ、ぁあ、ぁぁ、ぁぁあぁぁあぁぁ──


 それを許してしまったら、私というオンナノコはもう絶対に元には戻らない。破滅的で不可逆な、最後の最後の最後の一線。

 だから、だから、だから、だから……それだけは、ぜったいに、だめで。


(やめ、て)


 なみだが、こぼれて、めのまえが、ぐちゃぐちゃになって、もう、なにもみえなくて、なにも、みたくなくって。


(やだ、よ。やだ、よ、ぉ……)


 その、瞬間に。

 私の頭の中に、浮かんだひとの、顔は──


(……せん、せ……い)


 だいすきな、ひと。

 いつかきっと、わたしのはじめてをあげたいって願ってた、初恋の、人。


 でも、その想いは、もう、叶わなくって。

 なにもかも全部、おしまいで。


 めりめりと。

 こじあけられていく。

 わたしが。

 おんなのこじゃなくされていく。


 いやだ

 どうして

 なんでわたしが

 こんなの

 やだよ

 ごめんなさい

 ごめんなさい

 ごめんなさい


 ごめんなさい、せんせい




『──ちゃん───ユウカ──ちゃんっ──!』 



 ……まっくろに染め上げられていく世界の中で、


 誰かが私のことを呼んでいる気が、して、


 さいごにのこったちからで


 わたしは


 てを、のばして──


🧂 🧂 🧂 🧂 🧂 🧂 🧂 🧂


──ぁあああああああああああああぁぁあああああぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!


 自分の絶叫で我に返る。


 ……最初に目に映ったのは、見慣れた天井。

 ここが真夜中の自分の部屋のベッドの上であることを、頭の片隅でおぼろげに理解する。

 それでも覚醒しきっていない脳は状況の変化を処理しきれずに、私のこころをみっともなく取り乱させて。

 ついさっきまで、自分が囚われていた悪夢の残響に衝き動かされるままに。

 ただ、悲鳴を上げた。


「やだぁあ! さわらないで! こないで! やめて、ぇぇぇぇ!!」


 私にしか見えない悪意の幻影を振り払うように頭を振り、髪を搔き乱し、赤子のように泣き喚く。

 とめどなく零れ続ける涙で視界が滲んで、何もかもがぼやけて見えて。こわくて、さむくて、まるで世界の中で自分だけがひとりぼっちになってしまったように錯覚して……

 そんな、中で……

 ふいに、背中に温かい感触を感じて。


「落ち着いて、ユウカちゃん。……分かりますか? 私です、ノアです。大丈夫、だいじょうぶ、ですから」

「ぁ……ノ、ア?」


 穏やかな優しい声。背後から自分を抱き竦める親友の体温が、想いが、肌から伝わってくる。

 その温もりは、私に幾許かの正気を取り戻させて……ほんの少しだけ、心が軽くなる。

 だけど、そんな友人へのお礼の言葉を言うよりも、先に──


「っ、うぷっ、お、ぇっ」


 吐き気が込み上げてくる。

 堪らずに口元を手で押さえて……それでも、夢の中での出来事が。体中を這い回る蛞蝓の群れが。口内を蠢く大芋虫が。確かな感触を伴って私の精神を蝕んで……耐えきれなく、なって。


「無理に、我慢しないでください。ユウカちゃん。ほら、どうぞ……」


 ノアから差し出されたのは、ベッドの脇に置いてあったビニール袋の敷かれた小さなバケツ。

 こういう事態を想定してノアがあらかじめ準備してくれていた「用心」のひとつ。


 ……人前でゲロを吐くだなんて、とか。そんな乙女心を気にしている余裕なんて、なかった。

 私はノアの手からバケツをひったくるように受け取ると、その中に……盛大に、私の内側のものをぶちまけた。


「ゔ、お゙ぇぇ……げほっ、ごほっ、ご、ほ……っ」


 びちゃびちゃと、としゃぶつが、わたしのなかのけがれが、こぼれおちていく。

 ああ、きたない。

 くさい。

 なさけない。

 なにやってるんだろ、わたし。


 ……時間にして数十秒間。

 そうして私は、吐いて、えずいて、ごほごほと咳き込んで。最後にはぜえぜえと肩で息をしながら、胃の中のものをあらかた吐き出しきっていた。


「っ、は……はっ、はぁっ……」


 気がつけば、身に纏っていたパジャマは私自身の汗でぐっしょりと湿っていて。ぞくぞくと寒気がした。

 空調は効いているはずなのに、ちっとも私の体は温まってはくれなくて。あの悪夢が私の全身から熱という熱を奪い去って、身も心も凍てつかせてしまったみたいに。


「……さむ、い」


 溜らずに自分の身体を抱いて、ぶるりと震える。

 か細い声でそう呟いた私を、ノアがまたぎゅっと強く抱きしめてくれる。ほんの少しだけ暖かくなった、気がした。

 耳元で、優しい声がして。


「シャワー、浴びましょうか」


🚿 🚿 🚿 🚿 🚿 🚿 🚿 🚿


 ノアと二人で自室の洗面所に入る。

 汗でぐっしょりと濡れたパジャマと下着を脱衣籠に脱ぎ捨てて、今度は自分の意思で一糸纏わぬ姿になる。もちろんノアも一緒だ。


 今の私でも、ノアの前で素肌を晒すことに抵抗はなかった。

 女の子同士だし、なにより……私が「こうなる」よりも前から、ノアといわゆる「裸の付き合い」をすること自体は初めてじゃなかったから。

 とはいっても何度か一緒にお風呂に入ったことがある程度のものだし、もちろんヘンな意味なんてない。……今だって、全く気恥ずかしさが無いって言ったら嘘になるし。

 ただ……私が「こうなって」しまってからは、お風呂に入る時にノアが付き添ってくれる機会は以前と比べて格段に多くなった。


 一人でお風呂に入るのが、怖い。

 身につけているものを全部脱ぎ捨てて、ひとりぼっちで密室に閉じこもることが、怖い。

 だって、逃げられない。身を隠すことさえできない。

 いきなり浴場の扉が開いて、誰かがいきなり襲いかかってきたらどうしよう。またあの時みたいになったらどうしよう。

 頭では大丈夫だって分かっているはずなのに。私の心に刻みつけられた傷は、そんな理性を超越した場所から、恐怖という楔で私の行動を縛りつけていて。


 いつもいつでもってわけじゃない。調子がいい時は一人だけで大丈夫な日だってある。最近は前と比べてずいぶん大丈夫な日が増えた。……そう、思ってたのに。

 時々……今日みたいに、自分じゃどうしようもなくなっちゃうことがあって。そういう時は、こうしてノアに付き添ってもらっている。

 怖いって気持ちが完全になくなるわけじゃないけど、それでも一人より二人の方が、まだちょっとだけ安心できるから。


 あの日からずっと不便をかけてしまっているのに、それでも文句ひとつ言わずに私のことを助けてくれるノアには、本当に頭が上がらない。

 そして同時に……あの日から数か月が過ぎてもまだ、ノアやいろんな人に迷惑をかけ続けている私自身のことが、本当に、情けなくなってくる。


 ふと、脱衣籠の中に放り込まれた、さっきまで自分が身に着けていた下着が目に留まる。

 可愛らしさとは程遠い、どちらかといえば「防具」に近いような無骨なデザインのそれを改めて手に取ってみると、思わず溜息が零れてしまう。


 ……「あの日」より前は、たとえみだりに人目には触れさせないようなところでも、ちょっとしたお洒落に拘るのが楽しかった。

 シャーレの当番として先生に会う日は、いつもよりほんの少しだけ気合を入れて選んだ下着をつけていって、一人で勝手にドキドキしてみたりして。

 ……も、もちろん先生と「そういうこと」になることなんて、これっぽっちも期待してたわけじゃない、けど。……ほんとに、断じて!


 だけど、今は。

 たとえ見えないところでも、そういう男の人の欲望を刺激するようなものを身に着けるのが、怖い。

 「誰か」のためにって頑張ったお洒落を、その「誰か」でもないような人に暴かれて、好き放題に観賞されて、欲望の捌け口にされて……その挙句に、果実を包んだ包装紙みたいに剥ぎ取られる。そんな悪夢を想像してしまったら、体験してしまったら……

 できなく、なっちゃった。

 人前で素肌を晒せなくなった。可愛い下着をつけられなくなった。男の人から「そういう目」を向けられることに、耐えられなくなった。


「……ユウカちゃん?」


 顔を上げると、ノアが心配そうに私の表情を覗き込んでいた。彼女もすでに脱衣を終えており、その白い裸体の全てを私の前に晒している。

 私とノアは同い年だけど、ノアの方が私よりも身長が高いし、スタイルだって良い。……流石にリオ会長ほどじゃないけど、女の私から見てもグラマーで魅力的なプロポーションだなって思う。

 そして何よりも、そのシミ一つ無い白磁のような素肌が本当に綺麗で、同じ女の子として羨ましかった。

 ……前はただ、素直に羨ましいって思うだけだった。でも、今は。

 その穢れの無さを間近で目の当たりにしてしまうと、穢れた私自身がどうしようもなく惨めに思えてしまって……たまらずに、目を背けてしまう。


「ううん、なんでもない。……入ろっか、ノア」


 咄嗟に浮かべた作り笑いは、上手くノアに通じてくれただろうか。

 なんて、無理よね。

 ノアは私のこと、本当によく分かってくれてるから。


🚿 🚿 🚿 🚿 🚿 🚿 🚿 🚿


 頭からシャワーを被る。

 シャワーヘッドから雨のように落ちる水の滴がタイル張りの床を打ち付け、止め処なく水音を響かせる。べっとりと素肌に染みついた汗を、暖かな流水が洗い流していく。


 ほんの少しだけ理性を取り戻した頭で考える。思い返すのは、さっきまで見ていた夢のこと。

 疑いようもなく、その根源にあるのは「あの日」、私に刻まれたトラウマだ。

 もちろん夢の中での出来事の全てが実際に起こったわけじゃない。あの光景は、私の中の恐怖と嫌悪感が具現化した幻想であり、一種のメタファー。少なくとも現実の私は、あんな風に蟲に集られてたわけじゃなかった。

 ……あの日、私のカラダを貪っていたのは蟲なんかよりもずっと醜悪で、吐き気がするくらいにおぞましいモノの群れだったのだから。


(本当に……何度見ても、慣れないなぁ。こういうの)


 ……こんな風な夢を見るのは、なにも今日が初めてってわけじゃなかった。

 それこそ「あの日」の直後……みんなが私のことを助けてくれてからの数週間は、ほとんど毎日のように今日みたいな理不尽な悪夢を見続けていたから。

 特に最初の数日は、まだショックが抜けきってなかったのもあって、夢と現実の区別が曖昧で。

 ……むしろ、私がこうして助け出されたことの方が夢の中の出来事なんじゃないかって錯覚してしまうことすらあって。

 そのたびに絶望して、錯乱して……みんなにだって、すごく迷惑を掛けちゃったっけ。


(もう、ほとんど大丈夫になったって思ってたんだけどな)


 最近では……週に一度、見るか見ないか、くらいになってた。

 見るのは大抵、なんてことのない普通の日だ。いつも通りセミナーで仕事をしたり、みんなと遊んだりして笑って過ごした、穏やかな一日の終わり。

 平穏無事にベッドに入って、すやすやと眠りについた、その後……思い出したように、あんな悪夢がやってくる。


 今日の悪夢はとりわけ酷かったから、あそこまで錯乱したのは本当に久しぶりだった。

 いつも見る夢はもっと漠然と、朦朧としていて。それでも大抵は耐えきれずに汗びっしょりでベッドから飛び起きて。その日はもう一晩中眠れずに、震えながら布団に包まって……そのたびに突き付けられる。

 結局、私はまだずっと「あの日」に囚われたまま。全然立ち直れてなんかいないんだって。


 ……惨めだった。

 自分の傷の後始末をみんなに押し付けている私が。自分が受けてしまった呪いの巻き添えでみんなのことをずっと縛り続けている私が。どうしようもなく惨めったらしくて情けなかった。

 だから。


「ふふっ。お背中流しましょうか、ユウカちゃん?」


 あえていつも通りに、ちょっとからかうように私に呼びかけるノアの言葉を聞いたとき。


「──ごめんね、ノア」


 ぽろりと、そんな言葉が口から零れてしまったんだ。


「……ユウカちゃん」


 もう何度目になるだろうか。

 背後から、ぎゅっと抱きしめられる。私の名前を呼ぶ彼女の声は、少しだけ怒っているように聞こえて。


「なんで、ユウカちゃんが謝るんですか? だって、ユウカちゃんは何も悪いことなんてしてない。謝る必要なんてこれっぽっちもないじゃないですか」

「でも、私のせいで、ノアやみんなに迷惑を……」

「迷惑なんかじゃ、ないです」


 振り向くと……そこにはしかめっ面で、だけど同時に泣きそうなノアの顔が、すぐ近くにあって。


「大好きな人のために何かをしてあげたい。それを『迷惑』だなんて私たちは……少なくとも私は思ったりしません。私が逆の立場だったら、きっとユウカちゃんだってそうしてくれるでしょう?」

「それは……」


 考えるまでもない。もしも立場が逆だったのなら、私は何に変えてもノアの力になってあげたいって思うだろう。

 だけど、現実に傷に囚われているのは私の方で。それを助けてくれているのはノアの方で。その事実は誰にも、ノアにも、私にだって覆せない。

 罪悪感が私の顔を俯かせる。そんなことをしてしまったら、余計にノアに心配をかけてしまうって分かっているのに。


「ノア、私は──」


 分かってる。

 私が何か悪いことをしたせいで、こんな目に遭ったんじゃない。

 ……ううん、仮に私があんな目に遭ったのが、誰かの恨みを買った結果なのだとしても、あそこまでのことをされる謂れなんてないはずだ。

 頭ではそう、分かってる。

 だけど……


「────────」


 ……それでも私は、ノアに言葉を返してあげられなかった。

 だって。


 『ごめんね』以外に、私はノアに、何を言ったらいいんだろう?

 どんな言葉を掛けられるんだろう?


 分からなかった。

 分からなくって。

 何も言えなくて。

 それで──



「──ごめんなさい」



 不意に耳に飛び込んできたのは、私の口から零れた言葉じゃなかった。

 こてん、と、首元に頭が預けられる。シャワーの温水じゃない、温かい雫が、私の肌を濡らしていく。


「本当に、ユウカちゃんに謝るべきなのは……私の方です。親友なのに、ちっともユウカちゃんの力になれなくって、ごめんなさい。ユウカちゃんのこと……守れなくって、ごめんなさい」


 背後から聞こえていたノアの声が滲んでいく。私のことを抱きしめていたノアの手に、ぎゅっと力が込められる。


「なんで、ノアが謝るのよ。ノアの方こそ何も、何一つだって悪くないじゃない」

「そんなこと、ないです。……私が、もっとしっかりしていたら。もっとユウカちゃんやコユキちゃんに気を配っていたら、こんなことにはならなかった。ユウカちゃんが苦しむことだって、なかったはずなのに」


 それはきっと……"あの日"から、ずっと口に出せずにいた、彼女の後悔で。


「だって……誰も悪くないなら、こんなことになるはず、ないじゃない、ですか」


 静かに涙を零す親友に……私はまだ、どんな言葉を掛けていいのか分からなかった。

 だって、私の知っているノアはいつだって余裕たっぷりで、からかい上手で、いつも私のことを助けてくれて。

 こんな風に、私の前で弱音を吐くノアなんて……見たことがなかったから。

 それでも。

 ひとつだけ、確かなことがある。


「ノアは、悪くないわよ」


 ノアのてのひらに、そっと自分の手を添える。今度は私の方が、彼女の手を握りしめる番だった。


「ユウカ、ちゃん……?」

「あの事件に悪役がいたとしたら、それは私に酷いことをした犯人だけ。ミレニアムのみんなは……ノアだって、もちろんコユキだって、誰も悪くなんかない。私はそう思ってる」


 きっと、苦しんでいたのは私だけじゃない。

 ノアだって、コユキだって、ヴェリタスやC&Cのみんなだって、"あの日"からずっと、彼女たちなりに悩んで苦しんでいたんだ。

 あのときああしていれば。あのときああしていなかったら。そんなちっぽけな後付けの後悔を「罪」だなんて思い込んで。

 そんな空気が、ミレニアムの日常にずっと影を落としていた。


「だから。ノアやみんなが私に謝る必要なんて、どこにもないわよ」


 だけど、いつまでもそのままじゃいられない。

 「結果」には必ず「原因」がある──それが全ての科学の根幹を成す大前提。だからこそ私たちミレニアムの生徒は、目の前の悲劇に対して何よりも先に「原因」を求めた。

 同じ悲劇を繰り返さないためにどうしていればよかったか。そればかりをずっと考えて、ずっと自分を責めていた。

 でも、違うんだ。

 今、私たちに必要なのは、悪い人探しでもなければ、責任の被り合いでもない。

 どうすればよかったか、じゃなくて。これからどうしていきたいか。


「それなら……ユウカちゃんも『ごめんね』なんて、言わないでください。

 私たちに気を遣わなくたっていいですから。悲しいときは弱音を吐いて、一人じゃ辛いときは好きなだけ頼ってくれたっていい。
 だって、無理したままじゃ、きっとユウカちゃんは本当に、笑えないから。

 ユウカちゃんの笑顔を、私の記憶の中だけのものにしないでください。……お願い」

「……うん」


 今度は、自分でも驚くくらい素直に頷けた。

 ……ああ。今はさっきと逆で。ノアの方が私の温もりを求めているんだろうな。自分のことはてんでダメなのに、お互いのためなら何だってできるだなんて、おかしな話だ。

 背中越しに、素肌を通してノアを直に感じる。彼女の柔らかな肢体を。ぬくもりを。きっと、その想いまでも。

 それが心地よくて、あたたかくって。

 もう少しだけ、このまま……こうしていたいなって思った。


🧂 🧂 🧂 🧂 🧂 🧂 🧂 🧂


「──ねえ、ユウカちゃん。私、ユウカちゃんはとっても女の子として魅力的だって思うんです」


 どれくらい、そうしていただろうか。

 ふいにノアの声のトーンが変わった。同時に彼女のてのひらが私の素肌を優しく撫で上げる。ふとももからお腹、おへそへ、肋骨のラインをくすぐり、胸のふくらみにまで触れてきて……


「の、ノアっ!?」


 堪らず声を上げる。いくら同性の親友とはいえ、ここまでされたら流石に動揺する。

 確かにノアとは普段から距離が近いし、抱き着かれたり際どい場所へのボディタッチみたいなことだって日常茶飯事だけど……こんな過剰なスキンシップは、なんだかいつものノアらしくない。

 ただ、不思議と拒絶する気は起らなかった。

 ノアの手つきにいやらしさが感じられなかったこともあったし……むしろ、その愛撫には、親が子を慈しむみたいな優しさが込められているように思えたから。


「肌なんてこんなにすべすべで。ユウカちゃんは今も昔も、こんなに綺麗で可愛いのに。ユウカちゃんの素敵なところは何一つ損なわれてなんかいないのに。
 だから、ユウカちゃんは何も気にしなくたっていいんです。……先生だって、ユウカちゃんがもう少し積極的になりさえすれば、きっと振り向いてくれるのに。とても、もどかしいです」


 絞り出すようなか細い声。そこにノアからの想いが、愛が、確かに込められていることを感じて。

 私に対しての親愛と、それから……もうひとりへの慕情。


「そんなこと、私に言っていいの? だって、ノアだって先生のこと……」


 ……親友だもん。ノアが私のことをよく分かってくれているように、私だってノアのことを分かってるつもり。

 いつも大人びていて冷静で、私と先生の仲をからかいまじりに応援してくれているノアが、本当は自分だって先生に恋してるんだってことも。

 痛いほど、よく知っているから。


「そうですね。私は、先生のことが好きです。たぶん、ユウカちゃんが先生を好きなのと、同じくらい」


 ノアは私の言葉を否定しなかった。彼女にしてみれば私と違って、元々自分の気持ちを隠しているつもりもなかったのだろうけど。


「だったら、私に遠慮する必要なんて……」

「遠慮なんてしていませんよ。確かに先生のことは好きですけど、ユウカちゃんのことだって同じくらい大好きですから」


 彼女はさらりとそう言ってのけて。


「ユウカちゃんに負い目を感じているわけでも、無理に譲ろうとしているわけでもありません。
 私が一番好きなのは、先生と一緒にいる時のユウカちゃんの笑顔だから。
 世界で一番好きな女の子と、世界で一番好きな男の人が、二人で一緒に幸せになってくれるなら……私にとって、それ以上の幸せはないんです」


 ……その言葉に、きっと嘘はないのだろう。

 ノアがそういう子だってことくらい分かっている。私と先生との関係を裏表や打算なく応援してくれていることも。私の幸せを、まるで自分の幸せのように思ってくれていることも。

 そんな子だったからこそ、ノアと私は親友になれたんだから。


「だから、もしも先生と結ばれることがユウカちゃんの幸せなら、私はその気持ちを全力で応援します。

 たとえ私自身が思いを遂げられたって……その代償に、もう二度とユウカちゃんの笑顔が見られないのなら。そんなの、意味なんてないですから」

「……そっか」


 ノアに抱きしめられたまま、くすりと笑う。ノアのてのひらをぎゅっと握る。

 密室の中、遮るもののない裸同士で身を寄せ合って、本音を曝け出して──そうして結ばれるのは、カラダじゃなくて、心と心。

 どうしようもない悪意に蝕まれていた私の心を、私のことを本当に想ってくれるひとの心が癒してくれる。

 たとえ、どれだけこの身を穢されたって……私のこの心だけは、誰にも穢すことなんてできないから。


「えっと、ノア。あのね──」


 ……ああ。なんだか少しだけ分かった気がする。私がノアに、どんな言葉をかけたらいいのか。

 今、私が彼女に言うべき言葉は。

 「ごめん」でもなくて。

 「ありがとう」でもなくて。


「──これからも、よろしくね。ノア」

「はい、よろこんで」


 お互い遠慮なんてしなくていい。存分に頼って、甘えたっていい。

 だって、私たちは親友で、お互いのことが大好きで……今までも、これからも、一心同体なんだから。


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 その、数日後。


「はい、アリスに名案があります。──アリス、ユウカと先生と一緒に寝ます!」

「ちょ、ちょっとアリスちゃん!?」


 私は可愛い後輩からとんでもない爆弾発言を聞かされることになるのだけど……それはまた別の話だ。


 つづく…?


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